※この記事はごちうさ住民 Advent Calendar 2014の23日目の記事です。


僕が6年間ほど勤めた会社を、 見送られるともなくひっそりと退社したのは、 11月末のことでした。

ここ1年半は体調の問題から休職をしていたのですが、 大学院時代の立ち上げから数えると更に2年、 思えば随分と長いこと関わった会社を、 こういう形で辞めることになるのは、 やはり本意であったとは言えないでしょうね。

決まってから退職日までが2日という、 準備をするにはいささか短い期間ではあったので、 今の一番の懸案は、 当面の生活をどうしたものだろうかという、 非常に刹那的な問題でございます。

これを読んでくださっている方の中で、 こんなしょうもない記事を読んでもなお僕に興味があるという酔狂な方がもしいらっしゃいましたら、 にご連絡を頂けると嬉しいです。 自己紹介などは http://tanakh.jp/about.html ここに多少まとめてあります。


かくして職を失った僕は、 これまで考えてこなかった類のことを考えるようになりました。 今まで余り考えずに済ませてきた、 生きる意味というようなものを、 月並みだけれども、見失ったというのが正しいところでしょうか。

30歳を超えて、 生きる意味を見失うことがこんなにも惨めなものだとは、 もう少し若かった頃には、全く考えてもいませんでした。 愛する相手を失って、仕事もなくなって、 守るべきもの、守りたいもの、 自分を必要とするもの、自分が必要とするもの、 今現在今この時点において、自分の力を必要としている人なんて誰もいない。 そういう状況で果たして「生きているから」という以外で、 どうやって生きていく理由を見出せるのだろうか。

テクノロジーの進歩を追いかけて行くことが何になるのか。 その先に何があるのだろうか。 スマホが高性能になったからといって、 それがどうしたというのだろう。 スマホゲームが僕に人生の価値を与えてくれただろうか。 あるいはその先にあるようにも思えない。 何年かおきに繰り返される技術トレンドに乗り遅れるなと我先に勉強し続けることに、 果たしてその先に幸せがあるのだろうか。 世界を変えると息巻いている連中だって、 その先にどういう世界が広がっているのかなんて、 本当は分かっていないんだ。

そうやって、幸せの見つけ方がわからなくなってしまいました。


休職中は孤独がつらかった。 療養だと言っても基本的には何だということはなく、 週1で通院しながら投薬治療を行うだけなので、 別段何かやることがあるわけではなく、 もともとパニック障害から、うつのような症状を呈していたので、 抗鬱剤を飲み続けるだけの生活でした。 乗り物に乗って遠出するということが困難だったので、 必然的に引きこもりになります。 引きこもってツイッターです。 だんだん体力もなくなって近所を出歩くだけで息が上がるようになります。

抗鬱剤で慢性的な症状は現在ではほとんど寛解していますが、 副作用という面でかなりの苦しみを味わいました。 向精神薬には強い眠気を誘発したり、思考能力を奪うような薬が少なくないので、 これまでもっぱら頭脳労働をやってきて、 しかも頭の回転の速さを自覚して、 それを頼りにやってきたというところが多分にある人間でしたので、 じゃあそれが奪われたら自分はどうしたらいいのだろうか、 などと考えていたりしました。

それでも復職のためだと思って、 健康を取り戻さなければならない、 最低限そういうモチベーションを保つことはできて、 いろいろ薬を変えて、投薬治療を行ってきたのですが、 いよいよどうしたものかという話です。

脳天気に構えていた20代の頃の自分を説教しに行きたい。 幸せをもっと真剣に考えろ。 いつか向こうからやってくるなんて考えていても、 そんなことはないのだ、と。


ごちうさの話でした。

ごちうさの魅力を今更説明する必要はないと思いますので、 ここで語るということはしません。

ごちうさのすべてが可愛く、暖かな物語は、 辛かりし日々のほとんど唯一と言ってもいい楽しみでした。 ごちうさがあったから今日まで生かされてきました。

そんなごちうさに異変が起こりました。 ごちうさのTV放送が終わって、 他の多くの難民アニメと同様に次のアニメを探して放浪すると思われたごちうさ視聴者達が、 ニコニコ動画の第一羽に定住し始めたのです。 普通は、同じアニメの同じ話を何度も何度も見るというのはあまりないことです。 どんなに好きなアニメでも飽きてくるものです。

ごちうさは比較的飽きにくいアニメだと思います。 それは物語を楽しむのと同時に、 作品全体の雰囲気を味わうという楽しみ方が非常によく機能する作品であって、 第一羽のセリフのほぼ全部を覚えてしまった今でも、 繰り返しの視聴に耐えるものではあります。 見るたびに、ああ、良いなあ……としみじみ感じるのです。

しかしニコニコ動画で試聴するごちうさ第一羽は、少し事情が違いました。 もともとコメントの多かった動画ではありましたが、 あまりにも定住者が多くなったためか、 見るたびにコメントのかなりの部分が変わっているということに、 あるとき気がつき始めました。 かなり力の入ったコメントが、見るたびに変わっているので、 いつしかそれを見るために定期的にごちうさ第一羽を開くようになりました。

そういった傾向が強くなるごとに、 コメントの新陳代謝はさらに活発になってゆき、 その日のニュースを絡めた時事コメントが大量につき始めます。 ごちうさがメディアになった瞬間です。 毎日ごちうさ第一羽を開いて、その日に起こったことを確認する。 全く奇妙な話ですが、不思議とそういう習慣が馴染んでいきました。

エンディングには翌日の天気予報が流れる。 選挙の日には結果の速報が流れる。 そうした流れで動画再生数が伸びていき、 随分前に投稿された動画なのにもかかわらず、 アニメカテゴリーで安定して上位に入り、 そして遂にはGoogleで「1」を検索すると、 結果の一番上に出てくるという自体にもなりました。 見たいと思った時に、アドレスバーに「1」を入れて見れる動画になったのです。

なぜごちうさ第一羽がこうなったのか、 はっきりとしたところはわかりませんが、 結果的にそこで起こっている現象は、 ごちうさ動画に定住する人たちが、 さらにその住人を増やすべくして、 彼ら自身がそれに値する魅力を、 コメントを更新し続けることによってもたらそうとしているというものです。

これ自身とても興味深いものであり、 この先になにがあるのか、ただ単純に衰退して終わるのか、 あるいはまだ何らかの面白い現象が発生するのか、 それを見届けるために、僕はこれからも、 気がついたらブラウザに「1」と入力して、 ごちうさ第一羽を見るのだと思います。 あるいは、コメントとか関係なしにしても、 ただただ佐倉綾音の声が最高なので、 観ることそれ自体が極上の癒やしなのであります。 それに加えて、メディア化したごちうさは、 現実とのつながりをなくした僕の、 逆説的ながらも現実との唯一のつながりでもあるのです。