前の記事を書いてから随分時間が開いてしまいましたが、 今年の二月の終わり頃に、Tsuru Capitalというところに就職しました。 この記事を見てかどうかはわかりませんが、先方からお誘いいをただいて、 これは渡りに船とばかりに働かせていただくことになりました。 いろんな方にご心配をいただきまして、大変ありがとうございました。 身体面の健康も随分良くなりまして、今では元気に暮らしております。
Tsuru Capitalは自動株取引の会社で、ご存じの方はあまり多くないかもしれませんが、 Haskellでシステムを開発していて、日本国内に数えるほどしかないHaskellで仕事できる会社の一つです。 当然ながら、私も毎日Haskellを書いています。 会社で働いてる人もほぼ全員Haskellが書けます。 なんというか、Haskellで開発しているからそれは当たり前なんですが、 これが当たり前っていうことがなんというか、 こういうところもあるんだなあって、日々刺激的でもあります。
社長をはじめ、社員の過半数は外国人です。 日本語では相互のコミュニケーションが取れないので、必然的に公用語は英語になります。 これまで仕事で英語を使ったことはなかったので、 正直全く英語を聞いたり話したりするスキルはかなり厳しいのですが、 多少なりとも日常的に英語を使う機会があることで、 少しずつ幾分かはマシになってきていると思います。 最近では往来や電車の中でふと耳にする英語の会話の内容が多少わかったりして、 意識して盗み聞きするとちょっと楽しかったりします。
そういうわけで、Haskellと英語に囲まれた日々を過ごしております。 毎日ゾンビのように生きているか死んでいるかわからないような生活を送っていた 半年ほど前から考えると、随分と生きているような実感があります。 毎日片道20分ほど電車に乗っていますが、今のところ問題もなく、発作が起きそうな気配もありません。 薬も今は一種類だけに減って、通院頻度も減りました。 以前と比べて心身ともに随分健康になって、 こうなって、やはり健康は大事だなあと実感します。 多少の才能の優劣は、心身の健康というファクターで容易に逆転するものだなあと知りましたし、 それで意識して健康を維持しようと考えるようになりました。 といいますか、それこそが一番のかけがえのない才能だとも言えるのかもしれません。 私が誰かに言えることがあるのだとすれば、「体が資本である」ということでしょうね。 崩れるまでは、それがいかに大事なものなのかなんて本当に理解することはできないんでしょうけれども、 それでもこのことはお伝えしておかねばならない気がしました。
そういうわけで、僕がこんなになってから失ったものを、一つを取り戻すことができました。 まだまだ取り戻さなければならないものはたくさんありますが、 それはまたひとつずつ、ゆっくりと取り戻して行ければいいかなと思います。 とにかく焦らず、日々たのしく生きていこうと思います。 それでは、今後とも暖かく見守っていただければ幸いです。